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花の宴-緋-

沫雪かはだれに降ると 見るまでに 流らへ散るは 何の花ぞも

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ポルトガル⑳ 最後のランチ

ホテルでポルトガル最後の朝ごはん。
ところで、泊まったホテルや入ったカフェの砂糖のパッケージが可愛すぎて使わずに持って帰ってきました。
スマホの待ち受けにしたくなるような、絵本タッチのイラスト。

スーパーで買ってくればよかったな。

一方こちらが、前にイタリアで見つけたお砂糖。とても官能的です。
 

パッケージだけで甘さの種類違いそう。
ポルトガルのはふわふわあまく、イタリアのは甘いっていうか甘美。
偶然そのお店のがってのはあるけど、お国柄って面白いね、ってことにしたい。


おい、昨日の寒さは何だったんだ。天気予報どうした。
 
外に出たら、ポルトガルに来て一番の快晴でした。
もう一度ベレンの塔まで行くことも考えたけど、飛行機の時間を考えるとバタバタになりそうだったので、のんびりお買い物に出ることにしました。

毎度のことだけど、お土産って自分のものってあまり買わない。
周りの人々へのお土産買うと、量的にもお金てきにもいっぱいいっぱいになっちゃいます。
まあ、買い物目的の旅行じゃないから、そこを物足りなく思ったことは無いけど^^

ロシオ周辺から、アルファマの入り口近くまで歩きました。

私が買ったお土産はほとんどお酒。家族が酒好きなので。
まずは自分用に、瓶が可愛いジンジーニャ(€9.9)旅行中、毎日飲んでた気がする。……もったいなくて、半年経った今現在もまだ開けてません。誰か家飲みしようぜ。

ポルトワインは、熟成が進むほど甘さが増して値段も高くなるそうです。
ジンジーニャばかり飲んでてポルトワインをまだ一度も飲んでないと言うと、店員さんが「それはダメよ~」と試飲させてくれました。リキュール的な甘さなんですね、ポルトワインって。
自分用には10年ものの小瓶を。あと、家族用に中瓶のセットを買いました。

ワインが売ってるお店では、ジンジーニャのジャムも売ってます。
アルコールはたぶん入ってないので、おすすめです。おいしい!


地球の歩き方にも載ってたアルテ・ダ・テッラ
観光客向けのお店ですが、可愛いものがたくさんありました!街中のお土産屋さんより少し高めだけど、ちょっと気の利いお土産を探すにはいいかもしれません。店内はほんとにきれい。そしてなぜかとても暑かった。

ここでは、友達と同僚用に石鹸をたくさん買いました。
クラシックでおしゃれなパターンが印刷されてる石鹸(小さいのは€1ちょっと~あるのでたくさん買えました)は、たくさん並んでるの見てるだけで幸せ。

店員さんも観光客慣れしてて、私たち三人分のお土産をひとつずつ個包装してくれました。
……なんか、すんません、多くて、ほんと……。


お買い物を終えて、お昼ご飯を食べてフィニッシュです。

ロシオ駅前のお店のテラス席で。

アローシュ・デ・ポルボ。たこのリゾット。

旅行中食べたごはんの中でいちばん好きだったかもしれない。

パシュテイシュ・デ・バカリャウ。干し鱈のコロッケ。

前述したけど、干し鱈と大航海時代~新大陸までの関わりが分かって、非常に萌える一品でした。

グロ画像ではありません。

パンに豚肉を挟んだビファーナというメニュー。めっちゃ肉はみ出してて、今写真見て笑った。

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ポルトガル⑲ 発見のモニュメント~ベレンの塔

■発見のモニュメント

ジェロニモス修道院から発見のモニュメントは、道路を挟んですぐ。

モニュメントがある広場からなら、でかいジェロニモス修道院の全体が見えます。

1960年に建てられたモニュメント。
ポルトガルの大航海時代が始まるきっかけとなったエンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられたそうです。
  
エンリケ航海王子を先頭に、ヴァスコ・ダ・ガマやマゼラン、その他天文学者や宣教師たち、大航海時代の立役者たちがパッション溢れる姿勢で大洋(って川だけど。でも、この川から船が出発していったんだって)を臨んでいます。


↑は道路側から向かって右側面で、↓は裏側の左側面。

右側で意気揚々としていた人々が、気のせいでなければ、うって変わって精も根も尽き果てたかんじに。ビフォー→アフター????
おお神よ、みたいに見えるけど、航海は辛く苦しいものだった…というのを表現してるの????

広場の地面は世界地図になっています。
 

にぽーん。

それぞれの土地に、到達した年号が刻まれています。
1541年、ポルトガル船が豊後国に漂着し、領主の大友宗麟にカボチャ の種が贈られるby Wiki。
ちなみに、ザビエルもこの年にポルトガルを出発したらしいです。

お馴染みのイギリスさんです。1541年だとヘンリー8世の時代。
海に乗り出すのはもう少し先のはなし…。
 
イギリスを撮ったり踏んだりフランスとの距離を再確認したりして遊びました。
ほんとにね、スペインやポルトガルが作っていった航路と世界地図の上でビジネスを展開していくイギリスね。

モニュメントにすっごくフレンドリーなスタッフのおじさんがいて、一緒に写真を撮ってくれました。
ほんとはこのモニュメントの中にも入れるんだけどもう閉館後だったから、明日また来てね、というようなことを言ってくれた気がします。たしか。


■ベレンの塔(世界遺産)

でかい建造物って、実際より近く見えたりするじゃないですか。
発見のモニュメントとベレンの塔もまさにそれで、本当に、ちょっと行ってこれるんじゃね?って距離に塔が見えたのです。

天気予報では、明日は雨。
中に入るにはもう閉館してるけど、明日の保険で外観だけでも見に行こうじゃないか。

そう思って歩きだしたのですが、着かない。

原因として、防波堤が真っ直ぐ繋がっていなくて、時々迂回しなければならなかったこと。
そして、夕方になるにつれて天気が荒れてきて、気温は下がり、体温を奪うような強風にさらされて、歩くのがキツかったこと。
塔は明日にして引き返そうかとも話したのですが、なんかね、もうっちょっとだけがんばれば着くような気がしたんだよ!罠!

そんな寒空の中、釣りをするおじいさん。
 
テージョ川を覗くと、魚がうじゃうじゃいるのです。
同じ灰色のイワナくらいの魚が、こう、うじゃうじゃと!
何の魚だったんだろう。食べられるやつなのだろうか。

やっと着いた、世界遺産……!
 
とりあえず、川岸から、「ほう、これがベレンの塔か」と眺めます。
かつては、河口を守る要塞として、税関や灯台として、テージョ川を行き来する船のために働いていたそうです。
ごめんなさい、ここの思い出は薄い!ほんとに寒くてもうムリポ\(^o^)/
暖かかったなら、もっとこう想いを馳せたりできたかもしれない。
ベレンの塔は、私の中で寒さのメモリアルになってしまった。


パステイス・デ・ベレン


寒さから逃げるように、ベレンで有名なエッグタルトのお店へ。
けっこう広々とした店内で、座席もたくさん。壁にはやっぱりアズレージョがありました。
混雑していることが多いそうですが、幸運なことにすぐに席に座れました。

エッグタルトしか頭になかったのですが、メニューにはピザやキッシュも。
夕飯の時間だったので、晩ごはんもここで!

温かいガラオンも注文して、やっと生きた心地になりました。

キッシュもおいしかった!

この店名物のエッグタルト。粉砂糖とシナモンをお好みで振りかけて。

おいしかったんだけど、すごくおいしかったんだけどね。
正直ポルトガルで食べたエッグタルトはどれも漏れなくおいしかったから、この店だけが特別おいしかった!ってことはないんだけどね、美味しかったよ!
どこも美味しいんだエッグタルトはさ!
次の朝食べるのに、持ち帰りのエッグタルトも買って帰りました。

■ホテル
その日は高杉晋作(遥か5)の誕生日だったようで、ネオロマクラスタのウサの主導のもと、みんなで高杉さんの誕生日を祝いました。ポルトガルで(笑)
 
↑ウサが用意した「晋作」(日本酒)と、シントラで買ってきたジンジーニャでハッピーバースデー☆高杉さん♡
私とクゥは高杉さんについてはよく知らないけれど、ウサがよくコスしてるから、姿かたちはよく知ってるよ!

手前に見えるおちょこのようなものは、チョコレートで出来ています。
ジンジーニャはオビドスという町の名産なのですが、こういうチョコのカップで飲むものなのだそうです。チョコも甘いし、酒も甘い!

シントラからベレンまで。
意味がわからないほど目一杯遊んだ一日でした。

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ポルトガル⑱ ベレン地区:ジェロニモス修道院

滞在5時間弱にして意味が分からないくらいシントラで遊びまくり、シントラ線で再びリスボンへ。
何度も言うけど、シントラはがっつり時間をとって行くべき。
あと、軽い登山かハイキングのつもりで行くべき。

足も体力もわりとモウムリ言ってますが、まだまだ、行くとこあるのです。
何せ、明日はもう帰る日なのです。

コメルシオ広場付近から市電の15番線を探してベレン地区へ。
私は、とりあえずお金を換金。財布をなくして、予備のユーロもだんだんなくなり、ありったけの日本円をユーロへ。そういえば、アイスランドが噴火してイタリアから帰れなくなったときもありったけの日本円を換金したな。二度あることは三度あるのだろうか…。

市電の停車場は地球の歩き方にも書いてないから探すのが難しい。
線路を辿って、これ15番線じゃね!?あそこに人並んでるから停車場あそこじゃね!?みたいなのを繰り返してやっと乗車できました。

リスボンの路面電車には情緒のある方と無い方があり、ポルトガルに来て初の情緒が無い方に乗りました。
情緒がある方は小さくて短くてクラシック↓


情緒が無い方は、バスが二台つながったみたいななんかすげえ長いやつ。
何で誰も写真撮ってないんだ。
でも、情緒とか言ってんのは観光客の勝手で、現地の人にとってはたくさん乗れて広い方がいいに決まってる。
松山市にも坊ちゃん電車という情緒のある路面電車が走っているそうですが、観光客しか乗らないそうです。
私は福島県民なのでよく知りません。

シントラでヘロヘロになりすぎて、乗車中、私は若干電車酔い…。
そして、財布と一緒にIC乗車券も無くしてしまった私は現金で社内の券売機から切符を買いに(買ったところで誰もチェックしないんだけど)。
そしてら、ヘロヘロしてたせいで、小銭をぶちまけて、周りの視線集まって、なんか、もう、しにたくなりました。
そういや、私はロンドンでも小銭をぶちまけた。二度あることは三度(略)


■ジェロニモス修道院(世界遺産)


でかすぎて全体を収めるのは不可能。

市電を降りてすぐ目の前にドーン。
大航海時代、ポルトガルがいちばんノリにのってた時代に建てられた修道院です。

テレビや雑誌でよく紹介されてる中庭。
 
回廊にぐるりと囲まれて、真ん中に立って見回すと、建物の立派さとでかさがよく分かります。
修道院って、こう、もっと質素なものじゃなくていいの????

回廊の中。他に観光客も無く、階段の場所見つからなくてぐるぐるしました。
礼拝堂のようなキラキラもアズレージョも無いのでシンプルに見えますが、柱には精巧な彫刻が為されています。

楽しそうなクゥ。

バッタだー!!!!

・・・・・・なんで?

礼拝堂は、今も現役。
お祈りに来てる人もいるので、上の階にある聖歌隊席から静かに見下ろします。
 

見惚れるくらい精巧なステンドグラス。

薄暗い場所では、ウサの眼レフが大活躍です。

バスコ・ダ・ガマの棺。
 
あの有名な。ほんとにこの中に眠ってるのかしら……。
ヨーロッパではよく偉人や王族の棺が安置されてるけど、日本人的には不思議な気分、と思ったけどそういえば中尊寺金色堂にも藤原さんたちが安置されてた。

閉館時間ギリギリだったため、スタッフに追い立てられるように修道院を後にしました。
ガマの棺は、最後の最後、ギリギリで見ることができてよかった。


修道院は閉館したけれど、空はまだまだ明るい!
道路を挟んで向かいにある発見のモニュメントへ。






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ポルトガル⑮ シントラ市街

ムーアの城跡でしこたまHPが減ったので、街に戻って腹ごしらえです。
ガイド本では正直惹かれなかったシントラだったけど、すごくかわいかった…!

街全体がドールハウスみたい。
  

 

時間があったら、もっと路地裏散策したかった。



酒屋の写真しかなかった…。
お土産屋さんが、見るとこ見るとこ目移りするくらいかわいい。
 
ミーニョ地方というところの伝統的な刺繍の柄をモチーフにしたお土産が多いのですが、白地に色とりどりの花柄がほんとにかわいい。
かわいい以外の表現は無いのかという感じですが、現地で実際にKAWAIIしか言ってなかった日本人です。

ちなみに、このミーニョ地方の刺繍のおはなし。近世の頃です。
男性は、意中の女性にこの刺繍を施したハンカチを作ってくれと頼みます。これがプロポーズ。
で、その求婚を承諾した女性は男性のためにハンカチに刺繍します。男性はそのハンカチを身に付けて歩くことで、既婚者の証となったそう。もしもハンカチを縫った女性…妻が亡くなったら、男性はそのハンカチをその顔に掛けて弔うそうです。
……いろいろと、妄想が掻き立てられますね。


さて、ものっすごいお腹がすいてたので、適当に行き当った店でお昼!

裏路地に面したテラス席。
表通りの店は客引きもすごくて騒がしそうでしたが、ちょっと奥まで行けば居心地のよさそうなお店がちらほら。というか、表と裏でレストランの集客の差が…。

メニューを決める私たちのところに店員のお兄さんが何回も聞きに来るので、「決めたら呼ぶんで!」と言ったら、「……ヒマなんだ」とお兄さん。そ、そっか。

ポルトガルに来てから魚介ばっかりだったので、がっつり肉にしました。

3人で一皿で正解。学んだ。笑えるくらいポテトが盛られていました。
魚もおいしいけど、肉もおいしいよポルトガル!
店員がヒマ持て余してたけどおいしかった!

バカリャウ(干鱈)のコロッケも。超名物。

なぜ海に近いのに干鱈が名物なのかと、新鮮なの食べた方が美味しいのにと、そう思っていました。
しかしその背景には、大航海時代の保存食、新大陸での鱈漁とそれを欧州へ輸送するための手段…などなど、非常に胸熱な理由が隠されていました。

もちろん昼間から飲むよー!

ヨーロッパではだいたいお通しに箸(じゃないけど)をつけると料金が発生するので、貧乏根性の私たちは頑なにお通しをスルーしてきたのですが、今回はじめて、腹が減ったあまりお通しに手を出しました。
すごく、おしかった。チーズと、オリーブ。たった3ユーロ程度なら、今までも食べとけばよかったねと、思ったり、思わなかったり。


腹ごしらえもしたところで、メインイベント、レガレイラ宮殿へ。

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ポルトガル⑭ ムーアの城跡


7,8世紀頃に、ムーア人に建てられたお城の廃墟です。
7,8世紀頃といえば、全く関係のないイギリスで言えば七王国時代です。
小さな森の眉毛ちゃんだった頃。ちびりすはかわいいですね。

ムーア人とは、ざっくり言うと西アフリカのイスラム教徒のこと。
レコンキスタが完了するまで、イベリア半島はムーア人に支配されていましたので、こういうお城や要塞の跡が各地に残っているようです。
旗にはアラビア語も印刷されています。

そういえば、ポルトガルでは黒人さんが多いな~という印象がありました。
現地人か観光客かは分かりませんでしたが、アフリカ大陸と本当に近いんですね。

ムーアの城跡は、とにかく歩いて歩いて登って登って、軽く戸惑うくらい歩いて登ります。
ウサとの旅行は、なぜか山道を歩くことが多い気がします。

最低1時間ちょっとは予定してた方がいいです。休みながらだったら、もっと。

上への道の途中に、こういう遺跡のかけらみたいな建造物が転がっています。
 
とりあえず、登れるものには登るピク。
とりあえず、登った人間がいれば撮影するウサ。
とりあえず、無駄な体力は使わないクゥ。

苔むした岩や城跡。
 
ヨーロッパの、数百年レベルの遺跡が適当に放置されているこのかんじ。
いいんだか悪いんだか私は大好きです。
日本だったらきっと、欠片のひとつも硝子ケースに入れて、看板たてて、全力で「展示」しちゃう。

ちなみに、上の写真右下の平らな面には、お手本のようなガイコツのモチーフが彫られています。
現代でもおなじみのデザインですが、こんな、人々に愛されて1000年の代物だとは思いませんでした。


高いところまで来ると、遺跡全体が見渡せます。
万里の長城みたいです。行ったことないけど。
 

ペーナ宮も見えました。
 
やっぱ、なんていうか、すごく、こう、ラブh

大西洋だー!!!!!
 
いろんな国に行ったけど、なにげに大西洋見るのははじめてでした!
今回は行けなかったけれど、このシントラの近くには、ユーラシア大陸最西端のロカ岬があります。
「ここに地終わり、海始まる」という、なんともオタク心をくすぐる一節が刻まれた石碑があるのもここです。

しかしまあ、イベリア半島全部を見渡せそうな絶景です。
天気も一瞬晴れて、雲の影が地面の上を移動しているのが見えます。

クゥと、あっちがリスボン、あっちがスペインかな?と方向を確認。
そっか……今、親分と限りなく近い場所にいるんだね。
そして、そう遠くない場所に、今日も34kmの海峡を挟んで喧嘩している仏英がいるんだね。
この大西洋はアメリカともつながっているんだね。
ヨーロッパをこの身に感じながら、肺いっぱいに息を吸い込んで、思いきりクンカクンカしました。


帰り路は快適な下り坂。
余裕ぶっこいてTMごっこしたり、お花とウサの美少女写真撮ったり、兄ちゃんの撮影をしたりしながら帰りました。
 
かさばるし、ジャマだし、役に立つわけでもないんだけど、いつも持ち歩いてるよ。
一緒に旅してもう何カ国目だろう。だいぶくたびれてきました。
今回の旅行で、自慢のヘアーが剥がれる大惨事に見舞われたお兄さんです。


予想以上の運動をしたので、腹ごしらえに街の中心部に戻ることにします。
 
バスが走る山道は、日光のいろは坂とまではいかないまでも、かなりのぐるぐる道です。
パスの中には向かい合わせの席もありますが、車酔いする人は、絶対進行方向の席に座ったほうが得策です。

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ポルトガル⑭ 3日目 シントラへ

3日目。前日までに主なところは廻ることができたので、予定では省くつもりだった、近郊の街、シントラに足を延ばすことにしました。
リスボンの中心地は、たぶん東京23区とは比べ物にならないくらいコンパクト。

ロシオ駅から国鉄のシントラ線に乗り、40分程度。
いちばん手軽に行ける近郊の街とあって、チケットの窓口にはいろいろな国の観光客が行列してました。

ひたすら、平坦な景色が続きます。
ちょっと寂れた団地のような建物と、低木と、赤茶色の屋根。

ポルトガルではベランダって一般的じゃないのかな?
高層階でも、際どいところに洗濯ものがぶら下がってる。


シントラ到着!!

まずは駅のインフォメーションに行きましょう。
窓口で、巡回バスのルートが書いてある地図がもらえます。


シントラの見どころは、ペーナ宮、レガレイラ宮殿、王宮、ムーアの城跡の4つ。
ガイドブックを見れば、いちばんの目玉はペーナ宮となっています。
旅サラダで紹介されてたのもペーナ宮。
でも、ペーナ宮って、良く言えばディ○ニーランドみたいで、俗に言えばラ●ホみたいっていう。


でも、私たちはあえてペーナ宮は外し、ムーアの城跡とレガレイラ宮殿のふたつに絞りました。ムーア宮は、苔むして朽ち果てた古代の城跡という存在自体に惹かれたから。
レガレイラ宮殿は、自分に少しでも厨ニの気があると思う人は迷わず行くべきです。行ってください。


循環バスはわりと満員。

目的地に近いルートのバスなのか、ちょっと分かりにくいので運転手さんに確認するといいです。
ちなみに、シントラ市街地と、レガレイラ宮殿は十分徒歩で行けました。
一方で、シントラ市街地とムーアの城跡を徒歩で行くのは、体力的にも、時間的にも、わりと自殺行為かもしれません。
日光のいろは坂…まではいかないけど、徒歩で登るのは相当くじけると思います。


あと、正直、行くまでシントラをちょっと侮っておりました。
どうせ●ブホみたいな街なんでしょ?みたいな。

シントラ、すごくかわいいです。

お土産屋さんも、レストランも、裏路地も。
時間に余裕があるなら、シントラ市街地の街歩きにも十分な時間を割いて間違いはないはず!


ワイン1/3本飲んでふわふわします。なう。

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ポルトガル⑬ テージョ川を渡ってカシーリャス

私が別行動で警察署に行っている間、クゥとウサはサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会の聖器室と、カテドラルに行っていました。写真を見せてもらうと、聖器室のアズレージョが本当にきれいで、たぶん今回の旅行でたくさん見たアズレージョの中でいちばんではないでしょうか。

ちくしょう見たかったというのは置いといて、その中から気になったアズレージョの写真を一枚。


おおきく振りかぶって(バイオリンを)

これまで見たアズレージョは、幾何学模様だったり、宗教的な絵だったりがほとんどだったのですが、え、なにこれ、ただの喧嘩www
男がヴァイオリンをふりかぶって、目の前の男にたたきつけようとして、向かいの男もそれに応戦。ヴァイオリンの弦は全部切れてるし、どうした、何があったwwww
てか、どうしてこれを、教会の聖器室になるような建物のアズレージョに描いちゃったしwww
仏英の喧嘩もきっと、どこかの壁画や絵画の隅っこに描かれているに違いありません。


ところで、昨日竹林でポルトガルさんが公開されたので思い出したようにレポの続きを書きはじめたわけですが(11月14日現在)、ポルトガル中のアズレージョ探せば、ぜったい親分とポルトガルさんのあれやこれやが描かれたものがあるはずです。
ポルトガルさんのキャラクターに今後期待!


さて、カフェでまったり中のウサと合流。ついでに一服です。
 
ガラオン。こう見えてホットです。
ガラスのコップに入ったホットのカフェ・オ・レ以外に説明のしようがないんですが。
ポルトガル独特のコーヒーの飲みかたらしいです(たぶんガラスのコップに入ってるとこが)


本気でどうでもいいんだけど、サイダーをレモン入ったコップに入れたらこんな現象がおきた。



この後『パウロのカステラ』という日本人のご夫婦が開いているお菓子屋さんで、こんぺいとうを買いました。
 
南蛮渡来の菓子として有名ですが、ポルトガルでのもともとの名前はコンフェイト。
でも、日本語の金平糖っていう当て字可愛いですよね。

ポルトガルのこんぺいとうは、日本のもののように透明感は無く、細かいイボイボがある球体です。あと、日本のはコリコリ噛み砕いて食べるイメージですが、こちらはとても堅いので、どちらかというと飴に近いかもしれません。なめて溶かす。
オリジナルはこちらですが、やはり日本の魔改造すごいです。
味自体は同じく砂糖の塊ですが、見た目はダントツで日本のがかわいい。


さて、帰るには早過ぎるが観光施設はほとんど閉館という微妙な時間だったので、テージョ川を渡って向こう岸まで、ごはんを食べに行くことにしました。

カイス・ド・ソドレにけっこう立派なフェリー乗り場があって、向こう岸のカシーリャスまでは15分くらいで行くことができます。運賃は€2.5くらいだったと思う。覚えてないけど、そんな高くは無かった。あと、私たちはうっかり現金でチケットを買ってしまいましたが、たぶん、乗り放題のヴィヴァ・ヴィアジェンで乗れました。


フェリーの窓から素晴らしいテージョ川の夕焼けが見えました。
右手側がリスボン。

遠くに見えるのは4月25日橋。ウサがなぜかずっと日付を復唱してました(笑)
この橋の名前は、カーネーション革命というポルトガルの独裁政権が終わった日に由来しているそうです。その前から橋はあったけど、名前は独裁者の名前だった。
1974年…けっこう最近のことです。銃口にカーネーションを挿して独立を祝ったそうです。
ポルトガルが独裁政権下にあったことも知りませんでした。
世界史って、ほんと授業で重要と言われた部分の知識しか残っていないね…。

でも、こんなきれいな景色見れるんだし、フェリーの窓もうちょっと磨いておいてもいいんじゃないかなって…


港町、すごい閑散としてるんですが(^-^)

平日の夜ってのもあったけど。
リスボンと同じく通りにはレストランが立ち並んで、どの店も外まで座席を用意しているんですが、人があんまいないぉ……。
経営は大丈夫なのかとか、きっとリスボン市民の土日の小旅行スポットに違いないとか、余計なお世話をやきながらレストラン選び。


ここも、リスボンにも魚屋が多くて、日本のように魚の名前が書かれた値札なんてのもなく、ドスーンと魚が陳列されてる系。きっと、地元民なら見ただけで何の魚かわかる系。
 
リスボンでは時々、服屋さんやお菓子屋さんみたいにショーウィンドウの中に生魚が陳列されててびびる。


船着き場近くの、いちばん人が多かったレストランに。
 


アローシュでいいんだっけこれは!記憶が・・・!

シーフードのリゾットです。
はみ出してるものを見ても分かるように、でっかい魚介がゴロンゴロン入ってます!!
すごいおいしかった!!
3人で分けたけどでかすぎて食べきれなかった\(^o^)/

サラダもでかい!!
 

ヨーロッパでは注文のしすぎにマジ注意・・・(*´д`*)

結局、にぎわっているようだったこのお店も、居た人みんな大人数のひとつのグループでした。休日の昼間の様子も見たかったカシーリャス。


2日目終了!!

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ポルトガル⑫ 財布なくなった

さいふがない( ゜Д゜)


そんなわけないよ


きっとほかのにもつにうもれてかくれてるんだ


ばっぐのなかみをひとつずつとりだしてみよう


【パンフレット】
o(^▽^ 三 ^▽^)o【買ったおみやげ】


サッサ サッサ サッサ サッサ サッサ


・・・


・・・・・・・・・


(^q^)



((((^q^))))


さいふはほんとうにないらしい




超ポカーンでした。
ポカーンとしたあと、背中がスーっと冷えていきました\(^o^)/



財布はいつも日本で使っているもので、中には現金とクレジットカード、パスモ、免許証、保険証が入っていました。いつもは、現地に着いたらどうでもいい財布に使う分の現金だけ入れ換えて持ち歩いているのですが、今回はそのまま持ってきちゃって、でもまあいっかー☆と思って歩いていたのです。そんな油断が命とり、です。パスポートは無事だったのが救い。

今回の旅行は、食事代とか入場料の類を、その日一日誰かひとりがまとめて払うことにしていたのですが、その日の担当はウサ。私が財布を出す場面は限られていました。
最後に財布を出したのは本屋……。いくら私がアホでも、レジに財布を置き忘れてくるようなことをするか?

すられたとしたら、いちばん可能性が高いのは市電28番線の満員電車車内ですが……そこまで気がつかないものか?
で、あとで思ったんだけど、もしかすると、本屋で買い物した後無意識にお土産とか入れる用に持ってたエコバッグに財布を入れてしまった可能性はある。
日本で買い物してるときもよくやっちゃうんです。
もちろんエコバッグにはチャックもボタンもついてなくて無防備なわけで……。
どちらにせよアホです。


さて、どこでなくなったにせよ、財布とカード一式がなくなった現実は変わらないわけで、とりあえずやることやらなきゃいけません。


結果から言うと、現地でできることは1時間程度でなんとかなりました。


まずはクレジットカードを止めなければです。
持っててよかったのは、海外でカードを紛失したときの対処法と受付電話番号が書いてあるwebページのプリント。あとは、旅行保険の加入情報をプリントしたもの。


銀行と保険会社、両方ともちゃんと24時間対応しててくれました!
カードも、簡単な本人確認でストップできたし、この数時間で使われた形跡が無いことも教えてくれました。

保険会社の方からは、銀行のカードを止めたかの確認、無くなったときの状況、財布に入っていたものを簡単に訊かれ、あとは日本に帰ったら改めて電話すれば大丈夫ということでした。
その場では、保険加入番号は必要ないみたい。「請求方法は後でご案内します」と言われたので、え、現金戻るの????と思ったのですが、そんなわけはありませんでした。請求できたら、みんな「10万円盗まれました」とか言っちゃう。あと、カードの中のお金にも、パスモにチャージしてたお金にも、保険はききません。


■今回保険の対象になったもの
・財布そのもの(いつ買ったか?ブランドは?等細かく訊かれました)。
 時価で保険金額が決まるそうです。
 ヴィトンとかコーチとかそっち系のブランド品ではないので、数千円でも戻ってくれば御の字だなと思ってますが、いかに……。
・免許証の再発行手数料。まだ再発行できてませんが、東京では3500円程かかるそうです。
 再発行に必要な証明写真の料金は保険対象外のようです。
・パスモ(定期券)の発行手数料。500円。


こんなかんじです。


さて、何か盗難届的なものをせねばならぬと、最初、なんとなく日本大使館に行くものだと思い込んでいました。
んで、クゥとウサにはこのまま観光を続けてもらい、私はとりあえず大使館に行ってみることに。日本大使館は、ホテルのすぐ近くでした。


ひとり、アルファマの路地裏を下ります。
アルファマは細い道が入り組んでいますが、下に下に行けばテージョ川にたどり着くと読んだことがあったので、とにかく階段を見つけては下に、坂道を見つけては下に歩いて行きました。
ていうか、自分では来た道を戻ってたつもりなのですが、気付いたら知らない道歩いてました。


やべー財布なくなったまじかー最悪だーと心中繰り返しながらも、しっかりアルファマを楽しみます。
 
奥まった路地の民家に、美しいアズレージョ。


下った先でテージョ川にぶつかり、今度はコメルシオ広場の方へ歩きます。
そこからメトロに乗るつもりです。
アルファマからコメルシオ広場も、路面電車を使わずとも余裕で歩けます。


さて、コメルシオ広場に着いたところでハタと気がついたのですが、紛失届けって、日本大使館でいいのかと。パスポートなら大使館だろうが。
とりあえず、メトロに乗る前に、地球の歩き方に載っていた日本大使館に電話してみました。

電話をかけたらポルトガル語が出てきたので、構わず日本語で「日本語でも大丈夫ですか?」と言ってみました。そしたら日本人のスタッフさんに電話をかわってくれました。
曰く、届けはリスボンの警察に出すようにとのことでした。
おお、早とちりで大使館まで行かなくてよかった。

外国人が盗難届などをする場所は、レスタウラドーレスのメトロを出てすぐのところ、インフォメーションの建物内にあります。
旅行ガイドの地図では「i」の表示がしてあるはずです。


部屋の中には警察官が聞き取りをする窓口が4つほどあります。
その日は窓口が3つ対応してて、すでに何人かがやりとりをしていました。
待合いの席にも、私の前にひと組。
部屋が入ると待つように言われたので、そこで20分程待ちました。
ひとりあたりの対応が、これがけっこう、なかなか、終わらない。

待っている間にクゥからLINEが届きました。
そっか、普通に3G使えば海外でもLINEできるんだ!
パケ代使わせてごめんよぉぉぉぉ(ノД`;)


さて、手持無沙汰に待っていたら、ようやく窓口が空きました。
たぶん同年代くらいのお兄さん。

まずは名前、国籍、日本での現住所を訊かれます。
あと、パスポートの確認。

そのあと、無くなったと分かったときの時間と場所、最後に財布を見たのはいつか、どうやって財布を持ち歩いていたか、財布には何が入っていたか等々、保険会社の電話とだいたい同じことが訊かれました。「保険証」とか「路面電車」とか単語が分からなくて「病院で使うカード?」とか「道路を走っている黄色い電車?」とか説明にもならんような説明をしましたが、分かってもらえました。小学生以下の非常に残念な英語しか話せない日本人です恐れ入りますすみません。

質問事項が終わると、その情報をPCに打ち込んで、証明書?的なものが発行されます。
ポルトガル語の資料で内容はぜんっぜん分からないですが、警察のスタンプが押してあって、文章の中に私が話した情報がところどころ入っているのは分かります。
最後に担当者が直筆でサインして終わり。
日本人も達筆な人の字読めないことあるけど、外国人のサインはもっと分からない。
なんか、カタツムリがまるまった?みたいなサインで、もはやどのへんが文字なのか。

もらった証明書は保険の請求に必要なので、大切に保管しといたほうがいいです!

最後に、その後の対応についての説明。
登録情報は半年間保存されて、財布が見つかったら電話してくれるそうです。
電話か・・・。そういえばメールアドレスを書くところは無かった。
時差もあることだし、私も突然ポルトガルから電話きたらきょどるからメールのがいいんだけどな・・・。
ちなみに、このレポを書いている今日現在も電話は来ていません。
まー見つかるとは思ってないですけど!

ちなみに、この日は英語対応のスタッフしかいませんでしたが、後で現地に住む日本人の方に聞いたところ、日本語対応のスタッフも存在するそうです。
日本人が盗難に遭うのすごく多いから^^;


さて、コメルシオ広場でクゥと合流です。
ウサはアイスを所望されたため、広場近くのカフェでアイス食べてるとのことw
この頃には天気も回復しました。
 

川に、灰色の魚がびっしり泳いでいました。なんかもう、きもちわるいくらいいた。
川だから、淡水魚か。
 
きもちわるいくらい魚がいることをLINEでクゥに伝えたら、食べちゃダメと言われました。


向かいのベンチにいた黒人さんのカップルが魚にエサをあげているのをぼんやり眺めながらクゥを待つことしばし。ウサのいるカフェへと向かいました。

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ポルトガル⑪ アルファマの裏路地

リスボンは1755年に大地震があって、今調べたら、規模はそれこそ東日本大震災と同じようなものだったらしいです。その地震で、リスボンの主な地域は壊滅状態になって、今の街の元になっているのは震災後に復興された街です。そんな地震でほとんど被害を受けず、中世のままの景観が残っているのがアルファマです。


市電28番線に乗ってアルファマへ。

リスボン市内での交通手段は大きくメトロ・市電・バスと3種類あります。
市電とバスは停車場が同じか至近距離であることが多いですが、大抵の旅行ガイドの地図には停車場の場所は記載されていないので、路面電車の線路をたどって探すなんてこともしばしば。28番線は観光客がいちばん利用する線ということもあり、日本並みの満員電車でした。
人並みに隔てられ、ウサとクゥが見えない\(^o^)/


停車場近くで幸せそうなピクトさんを見つけました。女の子とデートしています。
 
ピクトさんは生まれた瞬間にその運命が決まっていて、「落下注意」のピクトさんは一生落下し続け、「転倒注意」のピクトさんは一生転倒し続けるという、とても理不尽で哀しい運命のもとに存在しています。そう考えると、このピクトさんは一生デートし続けるという、かなり恵まれた環境のもと存在しています。

と、・・・そもそもEscolaとやらの意味が分かっていなかったので今調べてみたら、このピクトさんは「通学路注意」的な意味でした。デートでなく通学でした。それにしても男女で手をつないて登校。甘酸っぱい青春です。


裏路地。ボロボロの壁にもちゃんとタイル装飾があります。
 

帆船のアズレージョ。
こういうきれいなものが、目立たないところにこっそりあったりする。


人の手のかたちのドアノッカー。そうだよね、手でトントンってするんだもんね。


たたずむわんこ。


ひっそりとした裏路地に、洗濯物が並んでいます。
 
この日の天気は曇りときどき小雨。
今日は外に干さないほうがいいんじゃないかな?
それとも観光客のために干してくれてるとか?そんなわけはないか。

アルファマの裏路地は、中世にタイムスリップしたみたい♪という類の高揚感よりは、大航海時代に栄えていたときも、独裁政権のときも、一般市民はここで粛々と生活していたんだなーというじんわり系なかんじでした。
天気が良かったらまた印象が違うのかも。


適当に見つけた小さなレストランでお昼!
アルファマも表通りに出ると観光客相手の客引きがすごいです。
実際気になってても激しく客引きされると逆に入りにくくなるよ~。

昼からワイン^///^


サルデォーニャス・アサーダス。イワシの塩焼きです。ポルトガル名物のひとつ。

魚の塩焼きをナイフとフォークで食べる日が来ようとは。
小骨、小骨ェ……!!
私は箸でも魚を食べるの下手なのでヴァアアアアってなりながらイワシを解体していましたが、ウサとクゥは美しく捌いておりました。知ってる。クゥが魚食べるときれいに頭しか残らない。

アローシュ・デ・ポルヴォ。タコのリゾットです。これおいしかった!

タコのことデビルフィッシュと言って食べない国も多いですが、ポルトガルさんは分かっていらっしゃいました。このお店のは、柔らかく煮込んだ蛸を細く割いていたので、ご飯によく溶け込んでいておいしい^^

これは、結局何の魚だったのだろうか。これも白身魚の塩焼き。
程良い塩加減で、おいしかった!

隣のテーブルにベネズエラから来たご夫婦(たぶん)がいて、奥さんの方がもともとポルトガル人だったから、メニューをいろいろ教えてくれました。んで、彼女たちが食べてたやつをそれも!ってw その後、滞在日数の話から日本では有給が取りにくい話になりました。日本人には2週間以上の休みなど夢のまた夢です。

ポルトガルのごはんも、ひと皿がものすごく多いです。
上記3つの料理も、3人で小皿に分け合ってちょうどくらいでした。


おなかいっぱいになったところで、サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会。


ここは内部の撮影禁止?だったらしく、写真撮ってたら注意されてしまいました・・・。
すみません・・・(_ _;)
サン・ロケ教会のような派手さはなく、静謐なかんじ。それでも、天使の彫刻はやっぱりふんだんです。ミサに来ている地元の人々もいました。

この教会は聖器室のアズレージョが見どころらしいということで、教会表から別の建物へまわります。こっちは有料です。そこで、入館料払うのに財布を出そうとして


財布がない(゚ ▽、゚)

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ポルトガル⑩ リスボンこんなとこ

2日目。朝ごはんの前に昨日デパートで買ったエッグタルト。
 
おなかにたまらない大きさなのが良い。
表はサクサクで、中にはとろっとろのカスタードクリームが入っています。
甘さ控え目なのも日本人好み。すばらしいです。
これ以降エッグタルトにはまってしまい、旅行中、我エッグタルトを所望すばかり言っていました。


【2日目のお品書き】
ケーブルカー グロリア線

サン・ベドロ・デ・アルカンタラ展望台

サン・ロケ教会

バイロ・アルト地区でお買いもの

ビカのケーブルカー

リベイラ市場

アルファマ地区をお散歩。おひるごはん。

サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会

☆ピク:財布紛失
☆クゥ・ウサ:カテドラル


カシーリャス。ばんごはん。


天気は曇り時々小雨。ごくまれに晴れないこともない。というお天気でした。

リスボンの石畳は濡れるとツルッツル。
今まで、たくさんの人がすっ転んだに違いない。

水漏れや雨漏りが不意打ちで攻撃しかけてくるのも注意。


■ケーブルカー グロリア線
坂の上と下というとても短い距離しか走っていませんが、現場を見てみると、確かにこれを徒歩で登るのは辛いだろうという傾斜。


車体にも落書きがすごいなー。
そういえば、これだけ落書きがすごいのに、落書き禁止の看板って見ないね。


運転席と運転手さん。複雑な機器は無くて、とてもクラシックな作りと見える。

車内にカード読み取り機があって、ヴィヴァ・ヴィアジェンで乗ることができます。
座席は、バスの車内に電車の座席を乗せたイメージ。20人入るか入らないかくらいです。
建物と建物に挟まれた狭い通りの真ん中を、ケーブルカーは、通りを歩いている人の表情も見えるくらいのスピードで、ガタガタと進みます。


■サン・ベドロ・デ・アルカンタラ展望台

消臭力のCMでミゲル君が歌ってた場所です。
http://www.st-sendenbu.com/cm/sr03a.html

グロリア線を降りてすぐのところにあります。
ベンチで一人たそがれるおじいさんがとても絵になる。
どこの国でも思いますが、外国人のおじいさんというのはどうしてこう素敵な哀愁をまとっているのでしょう。


■サン・ロケ教会

天正遣欧使節も滞在した教会です。
 
ゴージャスでキラキラ。そしてドスーンと重量がある。そんな雰囲気。
バチカン行った時の、入った瞬間に「やばい、これ確実に神様いるわ」って感じの荘厳さというよりは、当時のポルトガルの富とか栄誉とかそういうものを感じます。

リアルめの天使がものっすごい密集してるときがあっときどき怖い。


天球儀のモチーフ。

天球儀って存在自体にロマンを感じます。
沿岸に沿っての航海ではなく、はじめて完全に陸地から離れた大海原に出ていった時代。
目的地としているのは噂とも伝説ともつかない土地であり、誰も本当の形を知らない世界地図を、いろんな人が星の動きだけを頼りに何度も何度も航海して、少しずつ地図を書き変えていって。その地図も長いこと間違いだらけで。ポルトガル行く前に大航海時代の本を読んだのですが、ほんとに胸熱でした。今はグーグルマップでおうちに居ながら世界中が見えちゃって、当時からすれば夢のようだけど夢の薄い世界です。でも、ストリートビュー楽しいね。

関係ないけど、ポルトガルよりも前から高度な航海技術を持ちながら、決して多くを求めず、手の届く範囲を確実に手堅く守り、合理的に、商業的に地中海を支配してきたヴェネツィア共和国も大好きです。

姫仏だ!(入り口にあったお土産)
 


■バイロ・アルト地区

リスボンの中でも特に賑わっているお買物の中心地。
 

果物をかじりながら歩くおばあちゃん。
 
外国では、果物をかじりながら歩いている人をよく見ます。しかも、それがなぜかすごく似合う。新宿でりんごかじりながら歩いてる人いたらわりと注目しちゃうけど、ロンドンでなんか、テイクアウトの寿司食べながら歩いてるサラリーマン見たしな。寿司は特にかっこよくはないけど。


■コルク・アンド・コー
 
旅サラダ見るまで知らなかったのですが、コルクって、コルクの木ってものが存在するのね!
もともと弾力がある木が。
コルクって、普通の樹皮的なものを弾力が出るように加工されてるのかと思ってました。

ポルトガルは、コルクの世界一の生産地らしいです。
なので、お土産屋さんでは必ずと言っていいほどコルク製品が売ってます。
コルクってワインの栓くらいしか利用場面を知らなかったけど、バッグや傘、靴、文房具に至るまで、実にいろいろなものが作られているのです。

この傘もコルクなんだぜ! 
 

コルク・アンド・コーは裏道にある小ぢんまりとしたお店ですが、バッグや小物を中心に、おしゃれなコルク製品がたくさん置いてあります。
ここで日本円で15000円くらいのバッグに一目惚れし、散々迷って結局買わなかったのですが、どうせこの直後に財布を失うんだから買っておけばよかった。


■The Bertrand Bookstore

ガレット通りにある、世界最古の本屋さん。
 

1732年創業らしいです。

ものすごく奥行きのある店で、洞窟状に奥へ奥へと部屋が連なっています。
最初の部屋は書斎のような木目の本棚がぎっしり並んでいます。
 

ヨーロッパの本棚って梯子があるイメージ。
 
イギリスさんちにもこういう本棚がびっしり並んだ書庫があればいいなと思います。
隅っこの方には何百年も前の本が詰まってて、間に女王からの直筆の私信とか、歴史的に貴重なものも忘れられたまま挟まってたりする。

■ビカのケーブルカー
 

グロリア線のケーブルカーよりも細くて狭い。
座れるのは4人くらいで、後は後方に立ち席で3,4人乗れたら精いっぱい。

スーパーの袋を提げた地元民らしい人たちが乗っていました。
重い荷物を持っての坂道は大変です。

■リベイラ市場

ビカのケーブルカーを降りてテージョ川の方面へテクテク。
リベイラ市場に着きました。
 
もう午後だったので、もう人も少な……。
調査によると、朝いちとかに来ると賑やかな市場が見られるみたいです。

これからまだまだ遊び歩く予定だったので、さすがに食材は買えず。
こういう市場で夕飯の買い物をしてホテルでマーケット飯をするのを旅行の喜びとしているので残念!

アンコウっていうかアン肝っていうか、非常にダイナミックに魚が売られています。


エスカルゴの看板。

かたつむりはほんとに日常の食材なんだなあ。スーパーにももりもり売られてたし。


そろそろお昼になってきたので、アルファマ方面に移動しておひるごはんです。

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