リスボンは1755年に大地震があって、今調べたら、規模はそれこそ東日本大震災と同じようなものだったらしいです。その地震で、リスボンの主な地域は壊滅状態になって、今の街の元になっているのは震災後に復興された街です。そんな地震でほとんど被害を受けず、中世のままの景観が残っているのがアルファマです。
市電28番線に乗ってアルファマへ。
リスボン市内での交通手段は大きくメトロ・市電・バスと3種類あります。
市電とバスは停車場が同じか至近距離であることが多いですが、大抵の旅行ガイドの地図には停車場の場所は記載されていないので、路面電車の線路をたどって探すなんてこともしばしば。28番線は観光客がいちばん利用する線ということもあり、日本並みの満員電車でした。
人並みに隔てられ、ウサとクゥが見えない\(^o^)/
停車場近くで幸せそうなピクトさんを見つけました。女の子とデートしています。
ピクトさんは生まれた瞬間にその運命が決まっていて、「落下注意」のピクトさんは一生落下し続け、「転倒注意」のピクトさんは一生転倒し続けるという、とても理不尽で哀しい運命のもとに存在しています。そう考えると、このピクトさんは一生デートし続けるという、かなり恵まれた環境のもと存在しています。
と、・・・そもそもEscolaとやらの意味が分かっていなかったので今調べてみたら、このピクトさんは「通学路注意」的な意味でした。デートでなく通学でした。それにしても男女で手をつないて登校。甘酸っぱい青春です。
裏路地。ボロボロの壁にもちゃんとタイル装飾があります。
帆船のアズレージョ。
こういうきれいなものが、目立たないところにこっそりあったりする。
人の手のかたちのドアノッカー。そうだよね、手でトントンってするんだもんね。
たたずむわんこ。
ひっそりとした裏路地に、洗濯物が並んでいます。
この日の天気は曇りときどき小雨。
今日は外に干さないほうがいいんじゃないかな?
それとも観光客のために干してくれてるとか?そんなわけはないか。
アルファマの裏路地は、中世にタイムスリップしたみたい♪という類の高揚感よりは、大航海時代に栄えていたときも、独裁政権のときも、一般市民はここで粛々と生活していたんだなーというじんわり系なかんじでした。
天気が良かったらまた印象が違うのかも。
適当に見つけた小さなレストランでお昼!
アルファマも表通りに出ると観光客相手の客引きがすごいです。
実際気になってても激しく客引きされると逆に入りにくくなるよ~。
昼からワイン^///^
サルデォーニャス・アサーダス。イワシの塩焼きです。ポルトガル名物のひとつ。
魚の塩焼きをナイフとフォークで食べる日が来ようとは。
小骨、小骨ェ……!!
私は箸でも魚を食べるの下手なのでヴァアアアアってなりながらイワシを解体していましたが、ウサとクゥは美しく捌いておりました。知ってる。クゥが魚食べるときれいに頭しか残らない。
アローシュ・デ・ポルヴォ。タコのリゾットです。これおいしかった!
タコのことデビルフィッシュと言って食べない国も多いですが、ポルトガルさんは分かっていらっしゃいました。このお店のは、柔らかく煮込んだ蛸を細く割いていたので、ご飯によく溶け込んでいておいしい^^
これは、結局何の魚だったのだろうか。これも白身魚の塩焼き。
程良い塩加減で、おいしかった!
隣のテーブルにベネズエラから来たご夫婦(たぶん)がいて、奥さんの方がもともとポルトガル人だったから、メニューをいろいろ教えてくれました。んで、彼女たちが食べてたやつをそれも!ってw その後、滞在日数の話から日本では有給が取りにくい話になりました。日本人には2週間以上の休みなど夢のまた夢です。
ポルトガルのごはんも、ひと皿がものすごく多いです。
上記3つの料理も、3人で小皿に分け合ってちょうどくらいでした。
おなかいっぱいになったところで、サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会。
ここは内部の撮影禁止?だったらしく、写真撮ってたら注意されてしまいました・・・。
すみません・・・(_ _;)
サン・ロケ教会のような派手さはなく、静謐なかんじ。それでも、天使の彫刻はやっぱりふんだんです。ミサに来ている地元の人々もいました。
この教会は聖器室のアズレージョが見どころらしいということで、教会表から別の建物へまわります。こっちは有料です。そこで、入館料払うのに財布を出そうとして
財布がない(゚ ▽、゚)
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