近所の古本屋さん、今日はやけに小ざっぱりしてて、人が入ってるな~と思ったら、閉店のお知らせが貼ってありました。
気がつけば、今商店街に並んでるお店は、半分以上が、自分が引っ越してきてからできたものだったりします。
ほんとに、ここ2~3年。
不景気のせいなのかどうなのか、古いお店がどんどんなくなるのは寂しいです・・・とか書きたいとこだけど、つぶれてったお店に入ったことあるかと言われるとそうでもなかったりする。
世の中、悲しいことにそんなもん・・・。
景気の悪い話をすみません。
イタリアレポ、
唐突に難民生活に飛んでみます。
普通に観光してたときは写真が大量にあるからいいんだけど、難民に入ってからの写真、ほとんど無いんですよね。
記憶がまだ残ってるうちにレポっときます。
さて、話はイタリア旅行最終日(笑)、ヴェネツィアの夜に遡ります。
昼と夜で全く別の顔を見せるというヴェネツィアの運河。
半ば空とK連行するかたちで、夕飯後、ヴァポレットに乗るべく、サンマルコ広場に向かいました。
真っ暗だったから、もう8時半は過ぎてたと思います。昼間は観光客でごったがえしてるサンマルコ広場ですが、すでに人も少なです。
ネオンも車のライトも無いから、お店の近くに行かない限り、灯りは街灯のみ。

ディズニーの美女と野獣のセバスチャンそっくりです(笑)
ヴァポレットのことしか考えてない私と、星座について語るKをあしらい、明日の朝乗る予定の、空港行きの船着き場をてきぱきと確認しつつ歩く空。
なんていうか・・・恐れ入ります。すみません。
ヴァポレットは、各駅停船の1番線へ。
観光客なので、船の最後部、運河がいちばん良く見渡せる外の席を陣取ります。
肌寒い夜なんて、地元民は座らない(笑)
て、か、寒・・・っ!私このとき、上着持ってきてなかった気がするぞ、記憶によると!馬鹿だ!
眠気と空腹と寒さで、Kは早々に船内へ入っていきました(笑)
珍しく、船員さんのチケット抜き打ちチェックがありました。
チケット持ってないと高額罰金ですが、ちゃんと持っていれば、船員さんが素敵笑顔でGrazieと言ってくれます。
規則正しく並んだ、セバスチャン型街灯。
遅くまでやってるレストランやカフェの明かりが、水面にさかさまに映ってゆらゆら揺れてます。
東京みたいな乱雑な光は全然無くて、ほんとに「燈った」という言葉がぴったりくる光。

もう、ここがいつの時代のどこなのかよく分からなくなってくる。
松尾芭蕉がヴェネツィアに来たら、なんかすごいの詠んだかなーとか思った。
ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアのどこがいちばん好きだったかとか、どこのチーズがうまかったとか、そんな話してました。
でも、会話の7割くらいは、米英か仏英かを競い合っていました(この時点ではまだ米英だった)
・・・と、喋りつつ、おかしいなっては、うすうす思っていたのです。私も空も。
船進んでる方向、逆じゃね?本当は、サンマルコからリアルト方向に、20分程度の船旅を予定していたのです。
なのに、これは、明らかに、うん、寒いのに、もうすぐ10時なのに、明日帰るのに、
ヴェネツィアの運河、50分のフルコースだ\(^ρ^)/船内を見れば、明らかに、ダルそうであるK。
・・・(笑顔)
Kにはこの事実は黙っておくことにしました。
そんなこんなで、海に出て島を2つくらいまわり、全然ヴェネツィアらしくない場所も通り・・・さ、さむくなんてないんだからな!
でも、島の夜景が見れたり、海の向こうに街の光が見れたり、これはこれでよかったかも。
夜景を見ながら語り合う。
イタリア、これで最期かー。←(笑)
帰りたくないよねー。←(笑)
ほんと、明日日本に帰って、週明けから仕事とか信じられん。←(笑)
でも、今回の旅行、びっくりするくらい順調だったよね。←(笑)こんな会話をしたこと、すごくよく覚えています。
もはや、すべてに(笑)を付けざるをえない。
アイスランドが噴火してること、親やウサから聞いてはいたのです。
でも、「眉毛が灰まみれ何にそれかわいい!」程度の認識しかありませんでした。
ヨーロッパにいるのに、未だヨーロッパは遠い世界な感覚でした。
母『帰れるの?ネットでは、アムステルダム・フィレンツェ間のフライトは無しの表示でした。テレビでは、16日午後までは全部欠航、ホテルも混乱だって!』
な・・・んだと?
帰国前日の夜中、母から来たメール。
そのメールでやっと、自分らが世界を巻き込んだ惨事の渦中にいるのだと気がついた次第です(遅)
長いので続くことにする。
[0回]
PR