ほぼ同時刻に2人の身内からメールが来て、その両方に「ピクが不思議」って書いてあった件( ̄ー ̄;)
さて、英語の成り立ちについて調べていたら(眉毛萌えの一環)、いろいろあって、日本語の人称代名詞の多さ、という話題にぶちあたりました。
人称代名詞・・・私、僕、俺、自分、おいら、拙者、あなた、おまえ、あいつ、髭、眉毛、メタボ・・・∞
昔から気になってはいたんですけど、日本の漫画が英訳されると、キャラが「俺」キャラだろうが「僕」キャラだろうが、全部「I」でまとめられちゃうじゃないですか。
そこ大事なのに。
兄ちゃんやメリカの前では「俺」なのに、女王陛下の前では「私」って言うとか、公式の場では「貴殿」とかなのに、二人きりのときは「お前」になるとか!そこが表現できずに何に萌えられようか!みたいな!←・・・
むしろ、そういうのが重要な場面は、一体どう表現してるのだろうか。
柚木が突然「俺」しゃべりになった瞬間とか。「I」じゃあの恐ろしさは表現しきれまい。
で、どうして日本語は人称代名詞がこんなに多いのか・・・ってか、多い以前に無限に生産できるって(笑)
他の言語にはほとんど見られない現象らしい。
他に無いことはないが、アジアの超マイナーな言語にいくつかある程度で、それも別に大量生産はできないらしい、という。
ヨーロッパ地域ではほとんど各人称に対して一種類、ないし2種類。
お隣の韓国も2種類、中国一種類(たしか)
英語、その他欧米の言語、中国などの言語は、言葉の論理性を重視してできてるそうです。
自分の考えを、明確に、的確に伝えるための手段。
で、一方の日本は、
論理性よりも情緒を重視してしまったそうです(笑)
全てを言葉にするなど無粋です。
感じて、読み取ってください!!(どんなよ)
こうなった結果、I love you.の日本語訳は「月がきれいですね」となりました(笑)
万葉とか古今の歌を研究するときは、言外の空白を読み取ることに全力を尽くします。
みそひともじの中には、主語も、時間も、状況も、何も書いてなくて、ただ「目の前に雪が降ってます。寒いです」とだけ書いてあるわけです。
そこから、詠んでる人物を特定し、その人物の人となり、そのときの気持ちを特定せよって、考えてみれば脱出ゲームの暗号並みだと今更ながら思いました。
人称から脱線しましたが、たとえば外国人に、「いつもどの人称で自分を呼べばいいか分からない」と聞かれたら「何個か教えるから、あとはその場の空気を読んで使い分けてください」としか言いようがないことに笑えました。
日本人は、人と向き合ったとき、瞬時に自分とその場にいる人の関係や場の空気を読み取っているわけですよね。
てことは、日本の赤ちゃんは、言葉を喋り始めた瞬間に、空気の読み方も同時に学んでいるのですね。にっさま、ゆるぎねえ(笑)
なんかよく分からなくなってきましたが、細かな状況に応じた言葉が雑多にあって(てか生産できて)、世界一の数を誇る擬音語があって(これも生産できる。例:あこが本棚から本を取り出すときの擬音語→ドゥー・・・笑)、言葉の機微によって、細かな感情の変化や空気の変化を表現できる日本語は、なるべくしてオタク国家になったんだなぁと思った次第です。
ときどき、制作者がキャラ設定をするときに、そのキャラが「俺」か「僕」かで悩んだという話を聞きます。
人称ひとつで、そのキャラの立場や性格なんかも一瞬で決定付けられるのですよね。
メガネをかけているだけで、優等生でマジメって見られちゃうんですよね(違う)
「吾輩は猫である」も英語ではただの「I am a cat.」になっちゃうっていうのは有名な話。
本気で、なんでこんな支離滅裂なこと長々と書き始めたのかわかりませんが、せっかく書いたからおいときます。
なんかおもしろいなー、と思ったのです。
[1回]
PR